keyboard.wmf (2838 bytes) 三上クニの紐育 NYの裏話編)
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mikami1.jpg (2730 bytes)三上クニ さんは Jazz Pianist です。
http://kunimikami.com

毎日1文章づつ百日間書いてみようと思い立ちました。内容はおいしいレストランだけではなくて千差万別です。
読んで下さい。

Part 8

( Part 13  2005年10月)
( Part 12 2004年8月)
( Part 11  2003年5月 )
( Part 10  2002年11月 )
( Part 9  2002年11月 )
( Part 8  2002年7月 )
( Part 7    2002年2月 )
( Part 6  2001年10月 )
( Part 5  2001年7月 )
( Part 4  2001年6月 )
( Part 3  2001年5月後半 )
( Part 2  2001年5月前半 )

( Part 1    2001年4月) 

#80 ライオネル・ハンプトン・ジャズ・フェスティバル 2002

 2月18日(月)       朝4時起床、NJのニューアーク空港の警備は厳しかった。搭乗券カウンターで今までは調べなかった飛行機の荷物庫行きのスーツケースも1個ずつX線検査する。それから各空港行きの名札を付けるからなかなか時間がかかる。その後のゲート入り口でもまた、X線で手荷物のチェックがあり、人によっては靴も脱がされて調べられるからここでも長蛇の列である。以前なら30分で済むこの搭乗手続きに今では1時間はかかる。空港内にあるメンバー制待合室はダイナーズ・クラブを持っていると使える事が判明、無料の朝食が有って時間を持て余さずに済んだ。ここから目的地のアイダホ州モスクワまでは8時間。コンサートの開かれるアイダホ大学は空港から車で2時間かかる。その日の夜、人口二万人(その内、学生は1万2千人)の大学町モスクワに到着した。

 2月19日(火) ここアイダホ大学で行なわれるジャズ・フェスティバルは1968年に始まった。84年にサラ・ボーンと共に出演したライオネル・ハンプトンはこの催しの趣旨に共感し協力を申し出た。85年には彼の名前を冠した4日間に渡るコンサートとなった。私もハンプの楽団に入団した91年以来このフェスティバルに参加してゲストであるエルビン・ジョーンズ(Dr)やアル・グレー(Tp)ジェリー・マリガン(Bs)ハービーマン(Fl)などと共演した。年ごとにアル・ジェロウ、ナンシー・ウイルソン、シャーリー・ホーンなどの大物歌手が出演し、ミュージシャン総数50名近くの豪華なコンサートとなった。Tpのロイ・ハーグローブやクラーク・テリー、ギターのハーブ・エリスやベースのレイ・ブラウン、ピアノのハンク・ジョーンズは毎年の常連である。さらにこのフェスティバルが他の商業的催しと一線を画しているのは昼間は米国北西部の各高校・大学そして小学校からバンドが集りワークショップとコンクールが行なわれる点である。その数、200校、参加生徒数は1万2千人。優秀バンドはその夜のコンサートで我々プロと一緒に演奏する事となる。8歳児の見事なスキャトや6歳の少年のピアノソロ、プロとして充分に通用するレベルであるナッシュビル出身の16歳のバイオリン学生のジャズ演奏などを耳にするとアメリカのジャズ教育の広範な普及度と質の高さには驚かされる。しかもここら辺は畑と山に囲まれた地帯なのだ。2月の最終週は学校の講堂や公民館を含めたこの町近辺の宿泊施設は満員状態となる。

 会場

  

#81 2月20日(水)このフェスティバルの出演者は周辺の小学校を訪れて小コンサートを催す取り決めとなっている。「Jazz in the Schools」というこの企画、今年は44校を30名のミュージシャンが分担した。ジャズ風にアレンジした「セサミ・ストリート」などを演奏し「何か質問有りますか?」と訊くと、アメリカの子供達は活発に手を挙げる。「何歳から楽器を始めたのか?」とか「どのくらい練習するの?」とか可愛らしい質問が多いから楽しいコンサートなのだが、学校の授業の一環だから朝10時ごろに演奏となるので我々は早起きをしなければならないのが少々辛い。

 小学校での演奏

2月21日(木) このフェスティバルの参加者は米国先住民 Nez Perce 族のLapwei 居住区を毎年、訪問演奏する。我々がジャズを演奏し彼らはドラムに伴奏された伝統的な踊りで歓迎してくれる。東洋系に近い顔つきは少なく白人と血が混ざっている子供達が多い。この居住区には3千人が住むという。

  伝統衣装で。

 2月22日(金)このフェスティバルで毎回驚かされるのは若年の演奏家達である。前回まではナッシュビルに住む16歳のバイオリン奏者ビリー・コントリアス君が我々と共演し、ジャズ゛からカントリー、ニューエイジまでと幅広い演奏とアドリブを披露してくれた。彼は「CDを聴いて耳から覚えた」と軽く言うのだが弦楽器でのスイングはタイミングがとても難しいのである。今年は旧ソ連圏のカジキスタン生まれ、現在はカンサス・シティに住む15歳のEldar Djangirov (エルダー・ジョンギアオフ) という少年が出演した。昨年のこのフェスティバルのコンクール・ソロ・ピアノ部門で優勝した彼は天才だ。曲のアレンジも演奏も大人顔負け、否それ以上かも知れない。早いフレーズでの演奏も確実である。全40ページの楽譜となる「ラプソディ・イン・ブルー」を覚えてシンフォニーとの共演もするという。私と二人で連弾もしたのだが、そのテンポの正確な事!ただ脱帽である。彼もCDを聴いてその通りを弾けるという絶対音感の持ち主である。

 天才ピアニスト Eldar

2月23日(土) 出演者が盛り沢山のコンサートは大体4時間位かかるのだが、終了後、毎晩アフターアワーズとしてジャム・セッションが行なわれる。出演者や地元のミュージシャンや学生が飛び入りして本番のコンサートとはまた違った面白味があるので午前3時ごろになっても人々は帰宅しない。こうしてこの町の4日間はジャズ一色に染まるのである。

 

#79 お金で得るもの

お金を出して「商品」や「サービス」を購入して得るものは「満足感」「幸福感」という「気持ち」ではないだろうか?私のレストランでの体験を幾つか書こう。(1)カーネギ−ホールの向かいのシャレた内装の広々とした店。ジャズの生演奏があり良いムードである。連れていたのが女性だったので格好をつけて「ロブスター(時価)」なんてのを注文。出てきたものは、冷めた当たり前のロブスターに蕎麦のサラダ。これは似非ジャポニカ料理、しかも大皿のふちが欠けている。お値段は40ドル!大失敗なり。こういうのを食べると料理の不味さと注文した私自身に腹が立つし実に情けない。(2)58丁目と9番街の新しいホテル。壁にはランプ風の直火が燃えていてディスコかと思っていた。ちょいと内を覗こうと足を踏み入れたらとてもモダンで素晴らしいインテリア。西46丁目のパラマウントやガーシュイン、Wなどの新ヨーロッパ系のホテルと同じセンスである。グルリと周ってレストランに突き当たる。メニューは如何にと見ると「マカロニ・グラタン」と(もちろん英語で)書かれているでは有りませんか。アメリカで残念なのは「グラタンの無いこと」と常々思っていた小生、「これって日本ではポピュ−ラーなんだよ」(もちろん英語で)と御愛想の1つも言いながらグリルの周囲を取り巻くカウンター席に。グラタンを食べられるのだから少し煙ったいのは我慢我慢。出てきたものは「マカロニ&チーズ」を焼いた代物。日本のグラタンのトロッとしたクリーミィさとは大違い。全部は到底食べられませんでした。で15ドル。好感度100%のウエイトレスのサービスと内装が素晴らしいだけに実に落胆。悲しくなる。(3)ある日本食レストラン。知り合いが「あそこは良いのよね。」と言うから行く。ランチ定食10ドル、安い。私の入ったのは1時前なのにもう売り切れ。なるほど店内は日本人の会社員で満員である。私の注文した「網焼き定食」13ドル也。ステーキかと思っていたのにショウガ煮付風、量も少なくちょっとガッカリ。けれど味噌汁が絶品。普通の店だったら薄い味噌汁が「何せ御飯と一緒に出ると決まっているもんですから」と申し訳のようにくっついてくるのだが、ここは赤出し。日本で連れていってもらった料亭のものと同じ位、出しが濃くてすっぱい。これはインスタントではあるまい(多分)。いい加減なものでも良さそうな存在である味噌汁に手間隙かけている、という心意気に「さすが」と納得。高級感を味わって店を出る。(4)お勧めは45丁目と8番街と9番街の真中に有る「基」、お任せで注文する寿司にはオーナー・シェフの工夫と腕前が光る。しかも他の店より断然安い。マダム手作りのデザートも絶品!

 

#78 Eiko & Koma

私の妻に連れられて週に1回はバレエを鑑賞する機会がある。リンカーンセンターで行なわれるニューヨーク・シティ・バレエが多いのだが洒落たレストランやバーの並ぶチェルシー地区の西19丁目と八番街に有るダンス専門のジョイス劇場にも度々行く。正統派バレエであるNYCBに比べて2百人収容のジョイスでは斬新な企画の出し物が多い。毎年数千人の小学生をオーディションし見込みの有る子供は自分のバレエ学校で無料でレッスンを受けさせ一人前のダンサーに育て上げる振付家フェルドの率いるバレエ・テクは私の好きなグループである。トランポリンを使ったり天井からDNA細胞を吊り下げたりとバレエの既成観念に囚われない演出とそれが単なる物珍しさでは無くそれぞれの作品が1つ芯の通ったメッセージに完成させられているから、この人は天才肌だと感じる。

「動き」の西洋バレエに対して「静」あるいは「秘められた動」として同等の創作性とユニークさを感じさせるのは東洋から来た「EikoKoma」の二人である。日本で学んだ舞踏を携えて渡米したのが1970年の中頃である。以来、二人で組み、時にはゲストのダンサーも加えながら地道に活動を続けて来た。最小限の動きしかしない彼と彼女の舞台は「観る人にストーリーを創らせる」あるいは何も考える必要も無くただ眺めているも良し。以前に観た「森」の作品では舞台に広がる緑の木々に二人は紛れ込み、その一部と成っている。私はその時、透き通った川の流れの下でじっとうずくまっているトンボの幼虫であるヤゴをじっと眺めている気分になった。いつ動いたのか定かでは無いのだが確実にその位置は移動している。それなのにあえて見ていると全然動かない。自然の風景を見つめているようなものだ。ニューヨークの大都会のステージに突然出現した森林。今年の冬には「雪」が公演された。映画の一場面のような静寂と降りしきる雪片に雪女のような白い衣装のEikoと黒いインバネス・コートのようなものを纏ったKoma。日本人の私には「大正ロマン」という言葉が浮かぶ。詳しくは知らないが「寛一とお宮の物語」のような印象。これだけ動かずに二人が20分近く観客の眼を惹き付けさせられる秘密は何なのか。さらに見終わった後にステージ上で何か物語が生まれ終結した、という確実な印象すら与えるのである。誰の真似からも脱却した自分達の舞踏である。ドロドロしたものが昇華されていて美しく清々しい。

 

#77 人気作家

作家という職業は実に大変なのではなかろうか。私のように暇に任せて思いついたことを書いている身分なら楽だが、職業作家となったら注文があれば自分の興味のないような事柄まで書かざるを得ない。私も以前依頼を受けて何本か仕事をした事がある。インタビューは楽だった、相手との話しをテープに録音しておいて後から文章にする。1時間の対話から原稿用紙数枚は簡単である。対談形式なら内容の主旨さえ間違っていなければ紙に書く会話自体は長くも短くも出来るから紙数の調整がつけやすい。次にニューヨークの屋台の事情を取材せよ、との指令が来た時には、寒いのにわざわざ六番街辺りまで出かけて行くのか・・・とグズついた。「寒空の下、1日中立ちずくめで大変ですね。」などとポテトや焼き栗の屋台の販売人達に声をかけつつ「俺も大変です。」と自分に呟いていた。とにかく自分の興味の無い題材の場合は指定された枚数を埋めるのに必死である。大概2/3位で終わってしまい、何を付け足したら良いのやら最早書くことが考えつかない。この私の体験から言っても毎週2ページのコラムを書きつづけられる作家達は実にプロというしかありません。プロの作家は何でもない事を題にして2ページが埋められる。道路に落ちていた1本の櫛、からこの持ち主だった女性のスラリとした着物姿が浮かび上がり、あわててこの櫛を落としてしまった彼女の状況と心持ちが推測され記述される。何というイマジネーションの豊かさでしょう。私は月刊誌2本に定期的に書いているが、これですら締切りがすぐやってくる。数号前と同じ事を書いているのではないかという気分にも襲われる。最近はコンピューターに保存できるから以前に書いたものが判別しやすいが、原稿用紙だけの時代には自分の書いたテーマとどの出版物に書いたのかの分類整理は苦労したに違いない。似たようなテーマでも違う出版物にならば書けるのだが、どこに何を書いたのかが判らなくなってしまう。そう考えるとサザエさんの偉大さが分かる。毎日毎日4コマ漫画を書きつづけたのだから!随筆でなく小説となると最早私の手におえる代物ではない。大体、創作小説は登場人物からストーリー、お互いの会話まで架空の出来事である。すべてが作家の頭の中で起っている事でしかないだからトンでもない。頭の中で常に何かの筋書きが展開されている小説家はどこかが常人とは違う脳みそを持っているのに違いない。


#72

12月17日(月) 今日は休み。オハイオ州トリドは小さな街なので本当に何も無い。市営バスに乗ってショッピングモールに行く。片道85セントだからニューヨークより大分安い。閑静な住宅地を通って20分後到着。どこに行ってもモールには同じ店が有る。GapとかBanana Republicとか、それぞれ違うのはバーゲン品のセレクションくらいだ。それでも時間つぶしには面白い。夜はホテルの道向かいに有ったジャズクラブ「Murphy’s」に行く。調度ジャム・セッションの日だったのでエリントン楽団の面々も参加、地元の若いミュージシャンと共演する。オーナーはベース奏者のマーフィー氏とジョアンさん、この街は天才盲目ピアニスト、アート・テイタムの生まれ故郷とは始めて知った。店内のアートワークが素晴らしい。

 Murphys内のガラス画

12月18日() 今日の会場はホテルと隣接しているので、午後3時までゆっくり出来た。コンサートの順番にも馴れてきたが、明日から新しい曲を1つ加えるという。気分一新に良い工夫かも。ミュージシャンは仕事を取るのも大変だが、同じ曲順でのコンサートを毎晩続けるのも違う意味で才能が要る。忍耐力と言うか、プログラムに馴れ切ってダラケない様に演奏するのはマラソンでペースを落とさないように調整するのと似ている。二週間も旅が続くと今日が何日で、何曜日ということがわからなくなって「あと、何回で終日だ」という勘定だけが始まる。我々はジャズだから日によって曲を代えたり自由なアドリブ演奏の部分もあるがブロードウェイのショーなどは毎回絶対に同じ演奏でないといけないからもっと飽きるかもしれない。さらに今回はホテルが一人部屋だが、二人部屋だと気が休まる暇が無い。演奏後、バスで6時間、再度イリノイ州に戻る。時計の針を1時間遅らせる中部時間地帯だ。

12月19日(水) ウイルス駆除のプログラムをダウンロードする。迷惑なウイルスを作る人間も頭が良いのだろうが、対策ソフトを考え出す人間もすごい。悪と善の戦いだ。今日の聴衆は何でも喜んでくれてやり易かった。コンサート後、二時間で次の町モリンへ。 

12月20日(木) イリノイ州モリン、我々のホテルはトラクター製造会社「John Deere」のモダンな博物館があるだけのこじんまりと綺麗な地域にあった。ホテルの横をまたまたミシシッピ−河が流れている。今回のツアーは本当にこの河に沿って移動しているような感がある。本日給料日、1/3を税金として引かれているから驚く!来年4月の税申告の際には諸経費を計上して取戻したいものだ。しかしこのクリスマス・ツアー中、本当なら雪が積もっている地帯ばかりなのに季節はずれに暖かだ。 

12月21日(金) 昨夜のコンサート後、7時間でアイオワ州のスー・シティへ到着。Sioux と書いてスーと発音する。米国先住民族の名前だ。ダウンタウンにあるホテルの周囲にはJCPennyという百貨店だけで他には何も無い。マンハッタンの千分の1位の賑やかさ、何という違いだろう。アメリカの他の地区は皆このようにヒッソリしているものなのか?アイス・ホッケー場でのコンサート、多くの人が入るためにはこのようなスポーツ施設の利用となる。

 

 演奏中

12月22日(土) 最終日は再びイリノイ州である。昨夜から10時間かかって朝8時着。少し寝て午後3時のサウンドチェック。隣接するホテルに戻り夕食。ツアー最後の演奏は好評の内に終了。ステージでシャンペンを空け打ち上げパーティとなる。これからニューヨークに戻る我々は短めに切り上げ真夜中12時にバスに乗車。NYに着いたのは16時間後の翌日午後4時であった。皆で「本当にお疲れさん」(のような意味の挨拶)を言い合いながら各自の帰路につく。

 

 バスの内部、後方がベッド

 

 

お世話になったバスの寝台三段づつ合計15ある。

 

ウォーマックさんと

 

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